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東急多摩川線沼部駅近くの密蔵院の境内で。
近所の子どもたちがごった返し
ゆく夏を惜しむ最後の夏まつり
ここのところの雨続きで
月曜火曜日と二日間、中止になった
密蔵院の盆踊りが水曜の夜一日だけ
何とかギリギリで行なわれました。
「きょう盆踊りあるかな?」と
昼過ぎから空模様を気にしていた長女とともに
早めに夜ご飯をすませて、家族そろって出かけました。
七時から始まっていた盆踊りは
すでにたくさんの人でおおにぎわい。
…といっても盆踊りの輪ではなく
近くの屋台まわりの人だかりですが(笑)。

六郷用水沿いの道が車両通行止めになって、屋台が並んだ。
東京音頭、炭坑節、ちゃんちきおけさなど
おなじみの曲に混ざって、休憩時間には
「崖の上のポニョ」の盆踊りが…!!
子どもたち向けの盆踊りで
ポニョの曲がかかると同時に
たくさんの子どもたちがやぐらの周りに駆け寄り、
大人の手本に合わせて踊りだしました。
この振り付けは今回のオリジナルなのか
それとも全国共通の振りがすでにあるのか。
ポニョ人気は相当なものですね。
びっくりです。

クルクルクル…っと、器用にふんわり綿菓子。職人の技。
(ヨシダヤスアキ)

交通タイムス社発行のナチュラルファッション雑誌のコンフィー。980円
アドバイザーを依頼された雑誌
「コンフィー」が発行されました。
雑誌「ナチュラルスタイル」の販売をお願いしていた
私が大学卒業後10年間勤めた出版会社・交通タイムス社から
アドバイザー的な役割を引き受けた
ファッション雑誌「コンフィー」が発売になりました。
スロー&オーガニックな暮らしを提案するナチュラルスタイルより、
もっと間口の広い、ナチュラルな服のファッション雑誌です。
軽い感じで、あたたかく、ここちいい
ふだんの暮らしが気もちよくなる
ナチュラルな服と小物を紹介しています。
オーガニックやエコとは違うけれど
生活がやさしくなれる、そんな本です。

シンプルな色使いやデザインで、やわらかな雰囲気のページ。
(ヨシダヤスアキ)

夏休みも終わり間近になって、長女はハリーポッターにはまり中。
カラマーゾフの兄弟がマンガで読める?
それっていったい…。
最近になって、ずい分前にブックオフで買っていた
「ハリーポッター」シリーズを読み始めた長女。
現在、超はまり中で、暇があれば読んでいます。
そういえば最近、「カラマーゾフの兄弟」のマンガ本が
発売され、非常に売れて好評だと聞きました。
カラマーゾフは、私にとって一番好きな本で
高校生から大学生のころ、私の意識世界や価値観を広げる上で
とても参考になった本です。
だぶん、いままで5回くらい読んでいると思います。
あれだけ緻密な人間描写は、なかなかなありません。
私はマンガも好きで愛読しているマンガもたくさんありますが、
カラマーゾフの原作のあの緻密な内容を
漫画化できているかのかとても心配です。
ただ、ストーリーを知れればそれでいい。
そんなマンガになっていなければいいのですが…。
たとえば大審問官の章がなければ
イワンの深い葛藤を抱えた精神世界が表現されず
彼の人間性がまったく分からないと思います。
その深みを本当にマンガが表現できるかは
非常に難しい気がするのです。
こんど一度、マンガを読んでみたいと思います。
(ヨシダヤスアキ)

果物に目がない長男と長女。あっという間にお皿から消え去って…。
甘くておいしい。
…それって、本当?
子どもって果物が大好き。
夏はスイカや梨や桃やブドウなど
甘くて果汁がたっぷりのものがいっぱいで
何かテーブルの上に乗るとあっという間に
平らげてしまいます。
でも、私はこの、「甘さ=おいしい」
ということに疑問を感じています。
最近の果物の甘さは、
少し行き過ぎている気がするのです。
あまりにも甘みが強すぎるためか、食べたあと、
しばらく口の中に、まるでお菓子を食べたあとのように
甘ったるさがまとわりつく感じがするときがあります。
これでは、甘み以外にある微妙な味が
味わえなくなってしまうと心配です。
果物もそうですが、
最近の日本人の食べ物のおいしさの基準は
あまいくておいしい。
やわらかくておいしい。
という感じで、すごく単純化しているような気がします。
果物はどんどん品種改良されていき
糖度が高くて、やわらかくて甘いものが
おいしくて高級だとされています。
野菜さえも糖度の高いものがおいしいと好まれます。
煮物や焼き物などの料理のほとんどに
砂糖が甘さの隠し味として使われています。
でも、本当に甘みがおいしさなんでしょうか。
味って、そんなに単純なものなのではなくて
果物なら甘さの中にあるすっぱさだとか、
歯ざわりとか、舌触りとか、香りだとか
五感全体で感じる絶妙で複雑なバランス感覚の上に
おいしさというものがあると思うのです。
私は、市販の料理のほとんどが砂糖の甘みが強すぎて
素材の持つ本来のおいしさが損なわれてしまっていて
何のための料理なのか判らなくなっている気がします。
人間の味覚センサーは、確かに飢えを防ぐために
脂肪や甘みをおいしく感じるようにできていますが
精製された砂糖の単純な甘みに毒されてしまうと
かすかな甘みの奥にある、素材の深い味わいが
まったく消えてしまうことになると思います。
この甘み至上主義が、
もしかしたら糖尿病などの生活習慣病に
つながっているのかもしれません。
味や香り、肌触り、微妙な音など
かすかな違いを感じ取ることが繊細な感覚を養い
自然や人に対してのかすかな変化を微妙に
感じ取れる力を養っていくような気が私はします。
人間が人間として存在するために
何万年もかけて育み磨いてきた五感という
大切な感覚がここ数十年で失われようとしています。
そのセンサーを失ってしまうからこそ
自分のことだけに感覚が集中して
まわりの世界のことに鈍感になっているのかもしれません。
まずは食べ物から
感覚を取り戻すことが必要なのかも…。
(ヨシダヤスアキ)

オリンピックも運動会も、見る者は競技者の真剣さに共感し感動する。
勝つか負けるかではなくて
いかに真剣に集中できるか。
私が田舎から東京に来て、
社会人になって
とても不思議だったことがあります。
多くの現代社会の大人が
お金というものが絡まないと
真剣に何かをできなくなったり
楽しさを感じなくなっているんだ、と。
まず、マージャンの賭け。
私にとって、マージャンなどのゲームは
その遊び自体の奥深さや駆け引きなどを
楽しむために行なうことだったのですが
それがお金をかけてやらないと真剣にできない…。
何でゲームのおもしろさを楽しまないのか不思議でした。
高校野球の賭け。
仕事をしていると、高校野球の賭けの用紙がまわってきました。
じつは、マスコミでも報道しませんが企業では
(なぜならマスコミ自体も賭けをやっているから)
高校野球も優勝校を当てる賭けの対象でした。
高校野球を見て楽しむのではなく
賭けの対象として存在していることに驚きました。
賭けゴルフ。
接待ゴルフは、完全な賭けゴルフです。
大企業であろうと、マスコミであろうと
ほとんどの企業のゴルフコンペが賭けの対象となっていて
純粋なスポーツして存在としていることは稀です。
なんで、ゴルフとしての楽しみだけで
ゴルフをすることができないのでしょうか。
ただ真剣に、それがおもしろいからやる。
自分自身がもっと先に進みたいからやる。
もっと奥深くを探求したいからやる。
そういった好奇心や探究心、向上心からくる
真剣にやることの楽しさを忘れているような気がします。
すべてかお金に置き換えられる社会。
それで本当にいいのでしょうか。
(ヨシダヤスアキ)

桜坂の橋の上で子どもたちが虫網をもって蝉採り。
ゆく夏に考えること。
お盆まで、あれほど暑かった毎日が嘘のように
今日は肌寒いほどの涼しい一日でした。
近所の桜坂では、子どもたちが網をもって集まり
蝉やチョウを捕まえるために走り回っていました。
北京オリンピックで盛り上がった(?)
今年の夏もそろそろ終わりですね。
わが家ではテレビをまったく見ないので
オリンピック選手たちの活躍している姿は
いっさい分からないのですが
多くの人の癒しや励みになったのかと思います。
全力で命を懸けて、何かを成し遂げる姿。
それは見るものに何かを教えてくれます。
でも私は、ただ癒しを得るだけでは
もったいないのではないかと考えます。
現実社会の極限の競争社会のストレスを癒したり
逆に現実社会の中で闘うための励ましとて
外側に癒しの対象を探し求めていたら
いつまでたっても本当の癒しは訪れない気がするからです。
本来なら、自分の現実生活そのもの=癒し
であることが人間にとって正常なんじゃないかと思います。
現代社会は、
ここが逆さになっているおかしさに
気づかなくてはいけない気がします。
自分の日常生活が非常にストレスフルだから
それを癒したり満たしたりするために
外側に何か癒すものが必要になる。
いい方を換えれば、何かの癒しを得るために
ストレスフルな日常生活を毎日我慢して送っている。
これって、何か変だと思いませんか。
そして、その極度なストレス社会のため
ピリピリとした関係性の中、お互いが傷つけあい、
多くの犯罪や事件、問題が世界中にあふれている。
ほんと、方向が間違っていると思います。
ストレスを生みだす社会の構造自体がおかしいのに
その構造をゼロから考え直そうと問うことはなく
この社会はいかに他者に勝つか=儲けるか、得をするか
ということを正義として突き進んでいます。
今の大人は、
子どもの顔をきちんと見たことがあるでしょうか。
まわりの家族や友人や、道行く人たちの顔を
しっかりと見たことがあるのでしょうか。
多くの人がつかれきっています。
ストレスでボロボロになりながら
怒りをその顔に溜めながら
深い悩みを抱えながら
または感情さえ失ったかのように能面なりながら
笑い顔さえできないくらい目が死んだようになって
街中に生気のない人たちがあふれています。
子どもたちもそうです。
本来キラキラ輝いているはずの瞳も
いかにも睡眠不足で濁っている子どもがたくさんいます。
それでも、これが現代社会だから…と
自分に鞭を打って毎日頑張っています。
エネルギーを注ぐ方向を間違っていないでしょうか。
同じ命を懸けるのなら、自分の人生を使うのなら
すべての人々、生命が穏やかにゆったりと
平和に暮らしていけるにはどうしたらいいのか…
という部分に使えたらいいのにと思います。
いつか、必ず人は死ぬのですから。
(ヨシダヤスアキ)

住宅街の坂道も、暑い日もひたらすリヤカーで配達するヤマトさん。
近ごろリヤカーの宅急便が
当たり前の風景になってきた
ほぼ毎朝、10時過ぎくらいに
事務所に届く宅急便の荷物。
自転車でひいたリヤカーで配達されます。
配達の人は
「環8と中原街道の駐車禁止の取締りが厳しくて」
という理由からリヤカーに移行しているのとのこと。
たしかにこのあたりの幹線道路は
駐車禁止最重点取り締まり地域らしいので
配達の人たちは、ほんのちょっとの停車も大変らしい。
でも、考えようによっては
地球温暖化防止にもつながるし
排気ガスの減少にもなるし、
住宅街の騒音防止にもなるし
そしてヤマト運輸にしたら
トラックという設備投資もしなくてすむので
いいことなのかもしれません。
現場の人は大変だとは思いますが…。
でも、駐車違反キップを切られるよりもいいのかも。
(ヨシダヤスアキ)









