2015.11.14(Sat)

自分に染みついたクセ
もしかしたら人間のクセ?
これは私自身にもたくさんあって
子どもを叱ったり、導いたりするときに
どうしても使ってしまうクセのひとつ。
たとえば、子どもが片づけをしなかったりして
何度さとしても片づけを実行しなかったとき。
片付けなかったら、おやつ抜きだからね。
とか
遊びに行っちゃダメだからね。
とか。
それをしないことで、
本人にとって何か不都合が生じる可能性があると匂わせることで
こちらが望むことを相手に実行させようと強いることがよくある。
これは言い換えれば、本人の罪悪感を刺激した
取り引きによるコントロールのような気がする。
このようなコントロールって、
人間社会にはたくさんあるんじゃないかと思う。
いや、多くの仕組みが人間の罪悪感を利用することで
正しいと考えられることを行なうようにデザインされている気がする。
極端な例を挙げれば、
不正や悪事を働くと罰せられるから、やってはいけない。
人を殺すと死刑になるかもしれないから、殺さない。
というのは本質的に違うんじゃないかと思う。
人をだましたり、嘘をついたり、約束を破ったり
傷つけたり、不正を働いたり、何かを盗んだり…。
これらの行為は、
ばれたら怒られるから、見つかったらまわりから責められるから、
捕まったら処罰されるから、仲間外れにされるから…。
という理由でやってはいけないんじゃなくて
人間の在り方として「実行する」という「選択肢」すらそもそも存在しない。
という命の規範というか、行動の規範のような気がする。
最近、「ばれなければ何をやってもいいじゃん」
というような流れが政界や大企業でもたくさん見うけられる。
これは、そんな大事件を起こした人だけの問題かというと
そうじゃなくて、私も心の奥底に同じように持っている問題だと思う。
罪悪感を利用した行動規範の社会では
なんらかの原因で自分に魔が差したときに、
私だってやってしまう可能性があると思う。
これは宗教や信仰、スピリチュアルな世界でも見られる。
悪事を働くと、天罰が下る。
死んだら地獄に落ちる。
因果応報。
カルマ。
実際にそのようなことがあるのかもしれない。
私には真実はわからないので否定はしないけれど
でも、そのような仕組みがあるから自分を律するのではなくて
自らが、自らの意志で、自らの行動を選択することが
大切なんじゃないかなと私は思っています。
そして、そのようになりたいと。
それが、自律であり、自立、なんじゃないかと。
そんな人が増え、支えあい、いたわりあい、助け合う。
そんな社会って、いいなぁ。
雨の土曜の夜、
ちょっとまじめに考えてみました(笑)。
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>EntryTime at 2015/11/14 22:49<