2007.11.30(Fri)
ただやる。
真剣に、でも楽しく。
思いやりと感謝をもって。
ふと考えてみたら、
「ナチュラルスタイル」を創ろうとブログを立ち上げて
約一年が経過していることに気づきました。
この一年は、前の会社を辞めてから
ただひたすらに「ナチュラルスタイル」を
軌道に乗せるために動き続けた一年でした。
いま発行している「ナチュラルスタイル」は
自分の中でヴィジョンとして思い描いていた形には
まだまだ全然到達してはいないけれど
多くの人のサポートや協力、援助によって
読んだ人から愛される雑誌として成長している実感がします。
ここまでこれたのは、関わってくださった方や
読者の方など、本当に皆さんのおかけです。
こころより感謝します。
そして何より家族には言葉では言い表せない
多くのものをいただいていると思います。
もしかしたら、私が今この地点にいられることは奇跡かもしれません。
何しろ、個人がたった一人で
出版社を立ち上げ、
雑誌を創刊して、
全国で販売することができたのですから。
今、
こころが壊れ、体が壊れ、
社会が壊れ、政治が壊れ
環境が壊れ、気候が壊れ、
…あらゆるもののどこかがおかしくなっています。
みんなおかしいことに気づいているはずなのに
社会は根本的な解決法を探ることなく進んでいきます。
いったいどこに向かおうとしているのでしょう。
このままの世界で本当にいいんだと心から納得しているのでしょうか。
この一年は、雑誌をつくることとともに
自分のなかで「問い」を発しない日はありませんでした。
毎日、街を歩くたびに
ニュースを見るたびに
人々の会話を聞くたびに
私は何のために
「ナチュラルスタイル」をつくっているんだろう。
本当にやることに意味があるんだろうか。
もしかして、自分がやっていることって
何かしら役立っていることがあるんだろうか。
やってもまったく無駄なんじゃないだろうか。
この一年、今までの人生では味わえないほど
多くの人にお会いしました。
本当にすばらしい人ばかりで
日本に、世界に、こんなにすばらしい人たちがたくさんいて
そして、皆さん真剣に生きて、精一杯頑張っているのに
どうして世の中は壊れたままなのだろうか…と。
少しずついい流れは出てきているし
実際、もしかしたら世界は
いい方向へ向かっているのかもしれない。
でも、
それ以上に壊れていく速度のほうが圧倒的に速い気がします。
どうして、自分とその周りのこと以外の出来事に対して
無感覚・無関心が当たり前になってしまったのでしょう。
私は、今この瞬間に飢餓で死んでいる子どもたちに対して
すべての人が何らかの責任があるんじゃないかと思っています。
殺人を犯してしまった未成年の子どもに対しても
私たちに責任の一端があるんじゃないかと感じます。
今の社会をつくったのは私たち大人です。
本当に真剣に、何を思って社会をつくってきたのでしょうか。
私は、自分が為してきたことを振り返ったとき
100%子どもたちに胸を張ることはできません。
未来の生命たちにとてもじゃないけれど
自信をもって今の世界を手渡すことができません。
でもね、だからといって自分を責めることもしません。
今この瞬間からできることを真剣にやることが
私がたった一つできることだからです。
ただやる。
真剣に、でも楽しく。
思いやりと感謝をもって。
何となく、そんなことを書きたくなりました。
(ヨシダヤスアキ)
スポンサーサイト
>EntryTime at 2007/11/30 21:43<