2007.12.19(Wed)
パッケージングされた社会?
私が今、手に入れているもの。
その中で自分オリジナルのものって
いったいどのくらいあるのだろう。
私はどちらかという、あまり物を買わず、物をもたず
自分自身でいろいろ考えたり、作ったり、
調べたり、行動したりしているほうなのだと思います。
それでも、私の手元にあるもののほとんどが
自分自身が作りだした物ではなく
すでにパッケージングされたものばかりです。
つまり、お金を支払って、消費して
その対価として自分の手元にやってきたものに
まわりを囲まれた暮らしをしているのです。
家電製品、自動車、テレビ、ゲーム、音楽、本、
服、靴、パソコン、カメラ、映画、旅行、食事…。
生活のほとんどの部分が、誰かが作り出したものを
自分のライフスタイルとして取り入れているだけです。
これらのパッケージングされた消費物を
どのように組み合わせ、どのように使うか。
それが現代を生活する人々のライフスタイルなのだと
いえるかもしれません。
たとえば、ゲームやテレビを考えてみます。
ゲームをやっていたり、テレビを見ているときに
一番の幸せを感じている人もいるかもしれません。
でも、どんなにゲームに精通して攻略できたとしても
所詮は製作者の仮想現実のなかでの出来事にすぎません。
つまり、あるパッケージングされた消費サイクルの中で
お金を支払う対価として「幸せ感」を買っているのです。
それは今、生活のほとんどの領域で行なわれています。
洋服やアクセサリーからレストランでの食事
企画されたツアー旅行、やっと購入したマイホーム、
結婚式にお葬式、癒しグッズ、デートのマニュアル…。
一生を送るあいだで
いったい、自分のオリジナルって
どのくらいあるでしょうか。
以前、私は
このことに思い至ったとき
愕然としました。
そうだったのか、と。
現代社会は、とことん効率を追求する社会です。
自分で苦労してオリジナルのものを作るより
外からすでにパッケージングされたものを手に入れたほうが、
その分の時間的余裕が生まれて生活が豊かになるという考えの元
経済システムのあらゆる部分を効率化しています。
でも、本当に豊かになっているのでしょうか。
効率化のため余裕ができたはずの時間は
パッケージングされたものを手に入れるための労働時間として
つまり、日々のライフスタイルを維持するお金を稼ぐことに費やされて
その結果、ようやく手に入れたものによって、
極度のプレッシャーやストレスに見舞われた心身を癒す
…という消費サイクルに陥っているんじゃないかという気がします。
そして、それが現代社会をある側面から見た
実態でもあるのだと思います。
別に、それがすべて悪いわけではなく
自分の中で、どこにバランス点を見つけるか。
ということが大切になるんだろうと思います。
たぶん、すべての人間には
「何かを作り出したい」という
自分オリジナルの欲求があると思うのです。
そして、すべての人が同じキャパシティで
それを実現できる可能性を秘めていると思うのです。
何かを自分の体を通して作り出すことができた。
それが生きていることの感動のひとつなのだと思います。
別に、それは具体的な物を作り出すにとどまるだけではなくて
子育てだったり、料理だったり、掃除だったり、
人の話を真剣に聞くことだったり、伝えることだったり…。
その人にしかできない、
オリジナルの何かがあるんじゃないか、と。
願わくば、そのようなオリジナルな人生が広まって
それをお互いが認め合い、共感し合えるような
そんな世の中になることを私は望んでいますし、
自分自身も一歩ずつそのように生きて行きたい。
(ヨシダヤスアキ)
スポンサーサイト
>EntryTime at 2007/12/19 19:51<