2008.01.24(Thu)
何の心配もなく、不安も、恐れもなく
大人を信じきっている子どもたち。
彼らの未来のための日々の暮らし 
どんぐり坊やと呼ぶカワイイ帽子をかぶる息子。
EOS40D+EF50mmf1.4 ISO400 F1.4 1/400
私は、二人の子どもを育てている
というか、未来から預かっている一人の父親です。
二人の子どもを産み、育てるとき、じつは
うちのカミさんとかなり長い間、話し合いました。
たぶん一人につき二年くらい喧々諤々の議論になって、
一時は冷戦状態や、言い合いのケンカのようにまでなって
もう別れるしかないんじゃないかと思うほどでした。
今だから、こうやって笑い話として話せますが…(笑)。
なぜなら、私にとって子どもを育てるということは
その子の未来に対して責任を負うことを意味するからです。
子育ては、両親が意識的に赤ちゃんを産もうとするとき
それは、ひとつの生命をこの地球上に
自分たちの意志で誕生させることになります。
まったくの「無」の状態から、「いのち」を誕生させるのです。
地上にすでにあるものを加工して、何かをつくるのではなく
自分たちのコミットメントで、生命を創造し、育む。
これって、本当にすごいこだと思いませんか。
はたして、私はその「いのち」に対して、責任を負えるだろうか。
カミさんが「子どもをほしい」といったとき、
真剣に、このことを考えました。
子どもを育てる以上は、
子どもが自分で自分の人生を切り開いていけるように導くことが大切で
はたして、私にそんな重大なことが成し遂げられるのか。
そんな自信がなかったのです。
そして、子どもを育むということは
彼らが自分たちの意志で社会を構築することができるまでは
その未来の社会環境や世界のあり方すべてに対して
100%の責任を負うということだと私は思っています。
本当に子どもたちの未来に対して
責任を負えるような社会環境や世界を創りだすことができるのか。
現状の日本や世界のあり方を見わたすかぎり
「そんなこと絶対に無理だ」と思っていました。
とてもじゃないけれど、未来に対して責任なんかもてない。
子どもたちに、せめて今より社会環境が悪化することを防ぎ、
彼らが環境的に安心して暮らせる社会を
手わたすことなんて私には絶対にできない、と。
だから、カミさんから
「私の気持ちなんて何とも思っていないのね」と
何度泣かれてもNOとしか言えませんでした。
「だったら、そういう社会になるように頑張ればいいじゃん」
と言われても、現実の壁の大きさを考えれば考えるほど
そんなこと絶対にできっこないと思っていたからです。
でも、最終的には、赤ちゃんを産むことに同意しました。
それは同時に、未来に対して責任を負う決意でもありました。
自分のできることをただ実行していこう。
今やれるだけのことをやれば、それでいいんじゃないか。
子どもを育てる以上は、その覚悟をしなければいけない、と。

人の真似をしながら、多くのことを覚えていく長男。逆さで本を読む練習中?(笑)。
しかし、その覚悟もいつしか日々の生活に流され
次第に色あせ、薄まっていきました。
覚悟なんて、どこへ行ってしまったやら…(笑)です。
ちょうどそんなとき、再び長い話し合いの末
二人目の子どもを産む決意をすることを通して
自分の原点を考える機会がやってきました。
そして、長男の妊娠出産という経験が
私の中で未来への責任に対する覚悟をさせました。
そのすぐあと生まれたのが「ナチュラルスタイル」でした。
なんて、融通の利かない、頭の固いやつなんだ
ちょっとおかしいんじゃないの、と
思う方もいらっしゃると思います。
でも今では、本当に産んでよかったと思っています。
子育てが、こんなに楽しくて、毎日の生活が生き生きして
そして自分にとっての勉強になるなんて
産んで、育ててみるまで、まったくわかりませんでしたから。
子どもを育てることは、
イコール自分を育てることだったんですね。
言葉や知識では知っていましたが、
産んでみて、今まさに実感している真っ最中です。
二人の子どもたちには、私たちのところに来てくれて
本当にありがたくて、感謝せずにはいられません。
親バカかもしれませんが、自分の子どもは
(だれでもそうだとは思いますけれど)
本当に目に入れても痛くないほどカワイイ存在です。
地球上で、心の底から大切にしたいと思える存在です。
でも、私にとって子どもを、
自分の所有物だと思ったことは一度もありません。
きれいごとのように聞こえるかもしれませんが
たまたま、私のところにやってきてくれた
未来からの預かりものだと思っています。
子どもの瞳は、本当にきらきら輝いています。
まるで世界を映し出す鏡のように透明です。
親の姿形がそのまま、その瞳に反映されています。
私はこの輝きを失わせたくありません。
もちろん、自分の子どもだけでなく、
世界中の子どもたち、そして生命たちの未来を。
現代社会で、子どもたちはいったい何を信じたらいいのでしょう。
ほんの小さな人間関係でのいじめや嘘から、
教師や警察官、大企業や政治家、そして国の不正まで
世の中は損得計算と打算と、ごまかしが蔓延しています。
それは本当に他人事と言い切ってしまえるものなのでしょうか。
赤ちゃんとして生まれて、物心ついたときから
いかにして「お金」を得るかが最大の目的の社会で、
そのために、多くの無理な競争や不正が行なわれている社会で
彼らにいったい何を教え、どう生きろと言うのでしょうか。
子どもは社会を映す鏡だとよく言われます。
今その鏡には何が映し出されているでしょう。
その鏡に映し出された風景が、
いつまでも平和で楽しく、
気もちいいものでありますように。
(ヨシダヤスアキ)

今この瞬間は二度と来ない。だから人生は面白い。
EOS40D+EF50mmf1.4 ISO400 F1.4 1/500
追伸。
とは言っても、毎日、こんなことを思って生きているわけではありませんよ。
日々の暮らしの中で、楽しく、でも真剣に。
失敗の連続で、カミさんにも怒られながら…
自分にできることから、逃げることをしないで
でも、ときどきは逃げながら…ね(笑)。
>EntryTime at 2008/01/24 20:35<