2008.02.18(Mon)

人と人とのすれ違いも、思いやりと気配りがあればぶつかることは決してない。
思いやりと気配り。
今日、午後3時過ぎの地下鉄に乗って
ちょっと驚きました。
ある意味、カルチャーショックです。
たぶん私立の小学校中学校に通う子どもたちだと思うんですが
七人がけの座席を0.5人分くらいずつ空けて、等間隔で座っていました。
席をつめて、きちんと座れば、あと二人は座れる感じです。
でも、駅に電車が到着しても、誰も席をつめて、
あとから乗ってきた人に席を譲ろうとする素振りさえありませんでした。
別に寝ているわけではなく、マンガ本を読んでいたり、
携帯をいじっていたり、友だちと話し込んでいたり…。
自分の席の前に立つ人がいたとしても、何の動きもありません。
乗ってきた人の存在に気づかないくらい
そんなに、毎日の通学で疲れて余裕がないのかな。
席をつめるのがおっくうで、面倒なのかな。
それとも席をつめて、他人と触れることが嫌なのかな。
私には、信じられない光景でした。
そして、心から悲しくなりました。
からだからエネルギーが抜け落ちていく感じがしまた。
この子たちの親は、ふだん何を子どもに見せているんでしょう。
わが家では、電車に乗るとき、座席が空いていても
あとから乗車した人がスムーズに座れるように
基本的に席をなるべくつめて座るようにしています。
そうしない場合は、次の駅で新たに人が乗ってきたときは、
ささっと席をつめて、乗り込んで人がきもちよく座れるようにします。
子どもたちにも、「は~い、人が来たから、席つめてくれる?」
と言って、ヨイショと席をつめるようにしていますし、
「みんなが座れるように、席はつめて座ってね」と言っています。
なぜなら、
そのほうが、お互い気もちよくいられると思っているからです。
ルールやマナーだからやっているというのではありません。
自分がそのようにされれば、ありがたいし、嬉しいし
とにかく気もちよくすごせるからやっているのです。
それが「思いやり」であったり
「気配り」なんじゃないかなと感じています。
「ルールやマナーだから守らなければいけない」んじゃなくて
もっと体感的で経験的な、
体と体、心と心が通じる気もちよさから
自然に湧き出てくる自然体な所作だと思うのです。
言葉で説明するとどうしてもむずかしくなってしまいますが…(笑)。
今、日本のそんな文化って、もうなくなっているんですね。
本当に残念だし、さびしいし、悲しいです。
どうして、こんなにも自分のことだけを考え
自分を守ることに手いっぱいの文化になってしまったのでしょう。
これじゃあ、自然や他の生命を尊敬することなんて
体で感じられないのも無理ないのかもしれません。
頭や理屈でわかるように説明しないと、
理解できなくなっているのも当然なのかもしれません。
なにが、そうさせてしまったのでしょうか。
そうすることで、何を損すると感じているのでしょうか。
(ヨシダヤスアキ)
スポンサーサイト
>EntryTime at 2008/02/18 18:04<