2008.09.05(Fri)

地面をじっと見つめる長男。
何かに感動するこころ。
長男と散歩すると、
時間がいくらあっても足りない。
ふと、気をとめるものに出合うと
その方向へ、スルスルスル…と
自然に引き寄せられてしまいます。
全身が好奇心の塊のような存在で
きっと世界全体が新たなできごとで
いっぱいなんだと思います。
子どもの判断力や認識力は
狭いようにいわれていますが
本当にそうなのかどうか
私には分かりません。
もしかしたら、見えている全体量は
大人も子どももほぼ同じで
大人はその中から自分に必要な情報だけを
過去の記憶や自分の生存のために選択しているために
認識力や判断力が広いように
感じるだけなのかもしれません。
子どもは、まだ、自分にとって必要な情報の選択ができないため
脳が自動的に見るものを選択することができず
見える全体量すべの情報にアクセスしているため
あまりにも膨大な情報量のため、まるで一枚の絵のように
風景を全体としてとらえているんじゃないかと感じます。
すべての情報が一瞬のうちに頭の中にあるから、
もしその中で自分の好奇心の対象があると
大人が気づかないような視界の広さと速さで
情報を発見することができるのだと思います。
対して大人は、自分が見ようと思うものしか見えない。
たとえ目の前に貴重な情報があったとしても
自分のチャンネルがそこに向かっていないと
感じることもできなくなっているような気がします。
それは、すれ違う大人たちの顔を観察するとよく分かります。
多くの大人たちは何かの事柄に意識をとらわれ
自分がまるでこの場に存在しないかのような目で
道を歩いているように私には感じられます。
(私も含めてですが)
もっともっと、この瞬間に意識を開くことができら
ものすごい情報が入ってくるような気がするのです。
たぶん、世界は楽しい情報で満ち満ちていて
発見されるのを待っているように感じるのです。
(ヨシダヤスアキ)
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>EntryTime at 2008/09/05 23:33<