2008.02.10(Sun)

雪の翌日、温かい陽射しに梅の花が満開に。ひと雨ごとに春が…。
認めること。あやまること。
今日、長女と久しぶりにやりあってしまいました。
家でクラシックのCDを聴いていたとき
「これ、トルコ行進曲だね。パパ」
「いや、違うよ」
「だって、このメロディ、絶対そうだよ」
「違うよ。トルコ行進曲じゃないよ」
「そうだって。ママに聞いてごらん」
「違うったら、絶対に違うよ。トルコ行進曲のメロディじゃないってば」
モーツァルトのトルコ行進曲にしても
ベートーベンのトルコ行進曲にしても
まったく違うメロディなのを知っていたので
今かかっている曲が何の曲だかはわからないけれど、
トルコ行進曲ではないことだけは確かでした。
CDで曲を調べてみると「カッコー」でした。
「やっぱり、トルコ行進曲じゃないよ」
「間違いないもん。だって、さっきの曲はトルコ行進曲なんだもん」
「今、CDを見てきたら、違ってたよ。『カッコー』だったよ」
「違うよ。さっきは本当にトルコ行進曲だったんだから」
「CDで調べてきたっていったでしょ。それでも言い張るの?」
「だって、本当だもん」
あまりの強情な言い張りと思い込みに、
さすがに私も切れてしまいました。
「わかった。もう、いい。パパはこれ以上、話したくないから。
もう何もしゃべりません。パパに何にも聞かないで。
自分が間違っていたことを認められないで、
自分が正しいんだっていつまでも言い張って
パパのことが信じられないんなら、もう話さなくていいから」
かなり厳しく、強い口調で長女に言い放ちました。
自分でも、言いすぎだなと思ったけれど
一度言い始めたら、あとには引けず、
ついつい力任せに言ってしまいました。
言いながら、自分自身の中にも
「自分の間違いを認めるのってすごくむずかしいことなんだ」
という思いがあって、私自身も娘と同じだということも気づいていて、
つまりは、娘へ言った言葉は同時に、
自分への言葉でもあるんだと思っていました。
なんのことはない、娘は私の頑固なところを、
そのまま受け継いでいるだけなのです(笑)。
しばらくして、娘はトボトボとやってきて
「さっきはごめんなさい。言い張って」
きちんと、自分からあやまりにやってきました。
そして、そのことを手紙に書いてきました。
おもわず、ギューッとかかえて
抱きしめてしまいました。
娘は私より、ずっとずっと大人かもしれません。
いまだに、考えさせられたり、学ぶことばかりです。
(ヨシダヤスアキ)
>EntryTime at 2008/02/10 22:31<