2008.03.07(Fri)

みんな満たされない心を抱えている。
きのう、お肉と環境問題の話を取り上げましたが
どんなに軽い感じに書こうと思っても文章が重くなって、
自分まで気分が沈んでしまって困りました(笑)。
ヘビーな内容でみなさん、ごめんなさい。
私はいろいろな人と会ったり話したりしていて驚くのは
「温暖化にしても、そのほかの環境問題にしても
今の暮らしをやめられないんだから、滅びるしかないんじゃない。
いいんじゃない。それで。仕方ないじゃん。
やっぱ、今の生活やめられないもん」
という人が、実はかなりいるということです。
これって、本心でいっているのでしょうか。
本当に、そのときがきたとき、何の後悔もせずに
「こんな環境で暮らしたくない」と弱音を吐かずに
ただ淡々とその状況を受け入れて
だれも責めずに生きることができるのでしょうか。
以前、雑誌ナチュラルスタイルの記事
「STOP!地球温暖化のライフスタイル」のなかで
私の家にはエアコンを設置していないし、
なるべくペットボトル飲料は買わない…
というような生活をしているけれど
別に地球温暖化を防ぐためにやっているわけではない
と書きました。
それと同じように肉をあまり食べないのも
地球温暖化に対する危機感からとか
動物たちがかわいそうだからとか
宗教上の理由から食べない…というわけではないのです。
ただ毎日食べる必要性を感じていないのです。
今までの人生の46年間で、失敗したり成功したり
悩んだり苦しんだり、嬉しかったり楽しかったり…
家族や仲間やライバルや動物や植物や自然…など
無数の係わり合いのなかで本当に葛藤して…
人を傷つけたり、傷つけられたり、裏切ったり、裏切られたり。
いろんな経験をへて、今はただそう感じているのです。
地球温暖化の問題ももちろんそうなのですが、
そのほか年金問題、食の安全の問題、社会の荒廃…など、
日本や世界にはあらゆる問題が山積みされていて
いまだ根本的な解決はみられません。
というより、どんどん複雑化して、その糸口すら見えない感じです。
なぜなら、いつでもの場しのぎの対処療法で
本質的に解決する意志がないからなのではないか思います。
これは、政治や企業や行政だけの問題ではなく
その大本となる一個の人間としての私たちのなかに、
それを真剣に解決しようとする決意がないからかもしれません。
みんな、平和で安全で、心豊かで、あたたかで、
気もちよくて、楽しくて…そんな世界を望んでいるはずなのに
どうして解決の方向にすすまないのでしょうか。
それは、きっと
人間も自然の中のひとつの生命でしかない
というところから来る自然のバランス感覚を
失ってしまっているからだ思います。
たとえばですが、
地球温暖化を防ぐという考え方も、その中心にあるのは、
あくまで人間の生存のために人間が勝手に決めた
自然のもつキャパシティの利用限度の設定であって
(もう少しいえば、いま利益をもっている側にとっての
自分たちの利益を確保するための持続可能性であって)
それは自然の中のひとつの生命としての
バランス感覚から発生してはいない気がしています。
日本では現在、食糧の60%以上を輸入に頼っているのに
年間2000万トン以上の残飯が発生して捨てられている…。
食べ放題や外食やコンビニ弁当…などの飽食が広がった結果
食べ物を残し、捨てることに対して何とも思わなくなっています。
そこには、人間は他の生命によって生かされているという
一個の生命としての感覚が麻痺していることが
端的に顕われているのではないかと思うのです。
もったいないから、残飯を飼料や肥料として
利用すればいいという発想もあります。
でも、これもあくまで対処療法でしかないと思うのです。
その前に他の命をいただくことで生かされている人間として
もっと大切にしなければならないことがあると思うのです。
たぶん、現代人の多くの発想の根っこには、
「自然とは人間が利用するための物質」
としてしか見られない感覚が横たわっているんだと思います。
それは、つねに、どんなものでも
「それはどのくらいのお金になるか」
…という、お金を基準にした尺度でしか
物事を判断することができなくなっていることだと思います。
たしかに、何かをどのくらいの価値があるかどうかを判断するには
そのバロメータなる基準が必要で、そのためにお金は最適です。
でも、やっぱりお金だけで割り切れないものがあると思うのです。
人間には欲望があって、その欲望のおかげで
文明は発展し、人類も進化してきました。
そのおかけで、今の時代に生まれた私は
快適な生活を現代文明とともにおくることができます。
本当にありがたいことです。
でも、私は考えるのです。
その欲望の奥底にあるものって、いったいなんなのか。
人間が自然としてのバランス感覚を保っているときに
欲望は本当に無限に生じるものなんだろうか、と。
どうして人間には欲望があるのでしょうか。
なぜ人間は、どんなに得ても満たされないのでしょうか。
だれもが満たされない心を抱えて生きていて
それを満たすために経済を世界中の人々が
このまま拡大し続けていくとしたら…
キャパシティはいつか必ず限界を迎えると思うのです。
そのことを真剣に自分自身に問うことができたら…。
そこに現代社会システムの多くの問題に共通する
解決のヒントが隠されているのだと思います。
(ヨシダヤスアキ)
>EntryTime at 2008/03/07 20:09<