2008.09.08(Mon)

温暖化の水温上昇のため、地球規模で珊瑚の白化現象が進んでいる。
理屈や損得を超えた、生命としての
体感や感覚をとりもどすこと。
きょうの朝日新聞に、石垣島の
珊瑚の白化についての記事がありました。
ことしの海水温度の上昇のため
約30%の珊瑚が白化してしまったという記事です。
珊瑚は平均の海水温度が何度だったか忘れましたが
30度ちょっとを超えると、珊瑚の中に住む
褐虫藻(かっちゅうそう)という単細胞の藻類が
珊瑚からいっせいに外へ飛び出してしまって
あとに残された珊瑚が光合成できなくなって
死滅してしまい、真っ白になってしまうのです。
記事では地元の小学生たちが
死にゆく珊瑚を復活させようして
活動している姿が報告されていました。
たぶん、子どもたちには、珊瑚がなくなったら
地球の酸素供給量が減って、CO2が増えて
地球温暖化が進むから守ろう、という考えから
保護がスタートしたんじゃないと思います。
「ただ、同じ生きものとして、そのいのちを大切に守りたい」
そんな純粋な気もちから始まったのだと思います。
(あくまで想像ですが…笑)
この純粋さが、現代社会には失われている気がします。
すべての生命は、いのちとして見たとき、
まったく同じだと私は考えています。
アメリカ大統領も、アフリカの飢餓難民も
ノーベル賞受賞者も、町工場の研究者も
グラミー賞受賞歌手も、ストリートシンガーも…
いのちの重さでいったら、まったく平等で、
どちらが偉いとか偉くないとか、まったくありません。
同じように人間も、犬も、昆虫も、葉っぱ一枚も
地球という生態系から見た場合、まったく同等な生命です。
どちらかのいのちのほうが
重いとか、軽いなんてまったくありません。
もちろん、人間社会として考えたときは
自分たち人間を他の生物から優先して
守るのは当然なことだと思いますが…。
でも、本質的ないのちの重さはイコールなのです。
本来、人間も感覚的には
このことを分かっているんだと思います。
だから、他の生命が危機に瀕しているとき
本能的に何とかして守りたいという
意識が生まれ来るのだと思います。
私は、もう一度、人間はこの純粋なバランス感覚を
暮らしの中で取り戻す必要があると思っているのです。
他者を自分の利益のために利用するのではない
お互いが同じ生命として、どうしたら豊かに暮らしていけるのか。
その部分から経済も政治も教育も行なわれれば
国民不在の派閥闘争による政治なんて
絶対に存在できないと思っているのです。
理想主義かもしれません。
絶対、実現できっこない。
と言われるかもしれません。
でも、私は可能だと思うのです。
100年、1000年先のことかもしれませんが
もし多くの人がそのような社会を作りたいと
心から願い行動するのならば…。
(ヨシダヤスアキ)
>EntryTime at 2008/09/08 12:48<