2008.10.13(Mon)

二歳二カ月の足どり。歩く姿もさまになってきた。
成長は一人ひとりまったく違う。
それが許されない現代社会って…。
長女は、言葉を話すのがものすごく早くて、
一歳のときには、散歩で手をつないで
「赤とんぼ」を一緒に歌えるほどでした。
でも、運動のほうは遅くて
幼稚園に入るまで、自分から走りませんでした。
対して長男は、一歳半のころには
タッタッタ…と走り出して、うんていをよじ登り
怖いもの知らずで動き回り、
今では足どりも軽く走り回っています。
キックボードに乗ろうと挑戦もしだすほどに活発です。
でも、言葉は本当に遅かった。
一歳半検診のときは先生に心配され
医者で一度診てもらってください…
といわれるほどでした。
わが家では別に何にも心配していなかったので
医者にも行かず、そのまま約半年。
ようやく、自分の意志でしゃべり始めました。
バーバパパ
ブーブー
ギター
ごちそうさま
まだまだ少ないですが、急激に言葉を覚え
その動作を身振り手振りしながら説明し
まわりの人たちに自分をアピールするようになりました。
本来、人間は一人ひとり個性があって
その成長や長所や表現が違うはずなのに
現代社会は同じ枠にはめて、
その枠からはみ出すと異常とみなします。
自分のこどもの成長がちょっとでも遅いと
不安にさせるような情報が氾濫しています。
逆に、少しでも成長が早かったり
ほかのこどもと比べて何かができたりすると
自慢に思ってしまうような気にさせてしまいます。
そうやって、その枠の中で競争を行なっていきます。
それは一生続けられます。
一見、社会は一人の個性を尊重しているように見えますが
じつは、国や社会、企業、または家族にいかに利益をもたらすか
という資本主義経済を支えるための見えないレールに
物心つく前の幼いときから乗せられているわけです。
でも、人間はやっぱり個性的な存在です。
枠という中にとどめられると、どこかでいつか
必ずゆがみが生じてくるものだと思います。
たぶん現代はそのゆがみが極限まで達して
出口を求めているときなんじゃないかと感じます。
自分の中にも、誰の中にも
抑えていた何かがきっとあるはずです。
本来、自分としてもっていたもの。
大切な何かが。
それを他のものに置き換えて
他の欲望とすり替えているのが
もしかしたら現代社会なのかもしれません。
で、それではいつまでたっても本当の癒し
満足は得られないような気がします。
人と人は差があるからこそ、平等なのだと思います。
その差を個性だとお互いが認め合い、尊敬しあい
思いやりによって埋めることができたら…。
(ヨシダヤスアキ)
>EntryTime at 2008/10/13 23:52<