2009.03.02(Mon)

三峰神社の上り坂で動かなくなった長男。
いままでためていたものを
吐き出すかのように話し出した。
以前、長男がなかなか話さないけれど
まったく心配していないということを書きましたが
ここに来て、急激に話し出しました。
まるで、いままで自分の中にためていたものを
一挙に吐き出すかのように語りだしました。
毎日のように新しい言葉を覚え、
誰かが話したことを
すぐに口真似できるようになりました。
やっぱり、心配は杞憂に終わりました。
彼の中で、何かが発酵熟成し
いまがまさに怒涛のように話し始める
タイミングだったのだと思います。
人は人それぞれの設計図を持ち
それが花開くときをみんな待っている。
あたかも種のように。
たぶん、親やまわりができることは
その種が自分のタイミングで花開くことを
温かく見守り、サポートすることなのだと思います。
というより、
それしかできないのではないかと
思っています。
(ヨシダヤスアキ)
>EntryTime at 2009/03/02 22:34<