2012.04.03(Tue)
新天地・奈良では、地に足の着いた暮らしをと思い、
自分たちの食べる食物の何割かの自給をめざし、
田んぼと畑を借りました。
どちらも何年も耕作放棄されていたため、
畑は笹が覆い尽くし
田んぼは一面セイタカアワダチソウでした。
今、家族で、鎌とスコップ、鍬を手に、開墾中です。
開墾はとても重労働で、氷点下でも全身汗びっしょり。
でも、身体を動かすたびに、土に触れるたびに、
エネルギーが満ちるようで、疲れをほとんど感じません。
その作業はとても楽しく、集中すると、
頭の中がどんどん洗われてクリアになっていく感じがします。
そして、たくさんのことに気づかされました。
人が手を入れない土地は、
草や落ち葉がどんどん降り積もったためか、
人の手を何も加えずに、
ふかふかの柔らかな土に戻っていました。
そこは生命の宝庫。
土の中には、ミミズやカエルなど、
たくさんの生き物が生息していました。
その姿を見て、人間が作物を作り、
それを食べることは、
そんな彼らの命も奪うことにつながるのだと、
自分でやって初めて実感しました。
機械を使わず、土を耕さない、
自然農に挑戦していますが、
それでもいくらかの命を犠牲にしてしまいます。
また、里山の田畑は、
山に住むサルやシカ、イノシシなどの棲み家を切り開き、
彼らのテリトリーに侵入して作られているため、
作物を獣害から守るためにどうしても
何らかの対策が必要になってしまいます。
田畑の周りに電気柵などを施さないと収穫はゼロ、
という現実があることを身をもって知りました。
今まで、食物をいただくことに
感謝して食べてはいましたが、
現場に立って初めて、頭ではなく身体で、
人間が生きることの意味を知りました。
現代社会の中では、人間が食べることは、
その食物の命を直接いただくだけではないんだ。
もっと多くの命を犠牲にして、
いただくことで生かされているんだと、
ようやく気づきました。
>EntryTime at 2012/04/03 15:48<